22~24日、この期間が今回の出張のおまけのフリータイムの部分であり、楽しみにしていた。午前のカンタス航空便でオークランドからクライストチャーチまで飛び、昼前に到着。空港では僕の元ホストファミリー、RayとDotが出迎えてくれた。年齢も年齢だし、2人とも少し老けたように見えたけれど、元気そうだ。そう思って喜んでいたのだけれど、それよりも彼らが僕の変貌ぶりに驚いていた。5年前は学生だったわけで、変わっているのが当然であると言えば当然だとけれど、立派になったと喜んでくれた。この日朝から仕事もしていないのにスーツを着込んだ甲斐があったというものだ。
その後はRayとDotの新居に向かった。老夫婦2人なのでもう少し手狭な方がいいということで、10年前に僕が滞在した家から移っている。そうはいっても、日本の中程度の大きさは十分にあり、庭も備えているのだけれど。綺麗にまとまった素敵な家だった。庭で野菜がたくさん育てられていたのが印象的。
部屋や庭の案内を一通り受けると、昼食が用意されていた。丁度RayとDotの子供や孫が遊びに来ていたので、皆でテーブルを囲む。10年前に会ったことがある人、初めて会う人がいたけれど、僕のRayやDotとの思い出話や近況紹介に皆耳を傾けてくれた。さすがRayやDotの家族の一員で、人見知りをあまりせず、外国人に対しても寛容だ。
昼食後は、市内中心部に1人で向かった。変わっている部分ももちろん少しはあったけれど、大抵は10年前にも見覚えがある。歩き回る度に当時のことが思い出された。クライストチャーチのシンボルである大聖堂の前の広場に出ている屋台でケバブを買い食いし、自動販売機でニュージーランドの国民炭酸飲料「L&P」(Lemon&Paeroa)を飲むと、完全に15歳の時の気分になった。そういえばピタパンを使った料理を生まれて初めて食べたのはこの場所だった気がする。
中心部から徒歩約10分の距離にある10年前に通った学校「Chrisrchurch Polytechnic Institute of Technology」にも足を運んだ。残念ながら担任だったMaureen先生は休暇中で不在だったけれど、十分に感傷に浸ることができた。とても素敵な先生で、良くしてくれたことが深く印象に残っている。名刺を置いてきたので、その内連絡が来るかもしれない。
学校を離れて市内の中心部に戻り、お土産を買うと、RayとDotの待つ家に帰った。19時近くなっていたので、夕飯は既に用意されていた。他の家族はもう帰っていたので3人だけの食事になったけれど、完全に10年前と同じスタイル。各自大きなプレートが渡され、キッチンの鍋に入ったおかずを好きな量だけ自分で盛り付ける。今回は自粛したけれど、10年前、僕は鍋の中におかずが残ったら申し訳ないと思っていて、必ず全て平らげるように心掛けていた。おかげで滞在中に体重がかなり増えたのだった。Dotお手製の料理は必ずしも最高に美味しいとは言えないと当時思っていたけれど、この日は特別に素晴らしかった。きっと思い出のスパイスが効いているに違いない。
食後はRayやDot、僕の近況をお互いに話し合った。10年前には独身だったRayやDotの末娘Sharonに娘(RayとDotにとっては孫娘)が誕生していたり、近所に住む小学生だった孫のMichaelが就職していたり、時の流れを感じさせるニュースも多々あった。高校1年生だった僕が社会人になっているのだから当然だけれど、久しく会っていなかった人たちと当時と同じような状況で話していると、全てがまるで昨日のことのように思い出される。まさに光陰矢のごとしだ。遅くまで話し込んで、深夜になってようやくベッドに向かった。
僕の希望を聞いてくれて、次の日は3人で西海岸に向かうことにした。この日の夜の飛行機で僕がオークランドに戻ることを考えて、クライストチャーチに夕方には着くように朝早くに出発した。片道300km以上になる長い道のりで、また、南島中央部を走るサザンアルプス山脈を越えるので、結構タフなドライブになる。走り始めた当初は快晴で、道路の両側にはいかにもニュージーランドらしい牧歌的な風景、羊の牧場が広がっていた。そのような中徐々にサザンアルプス山脈に近付いていくと、山がちになってくる。山肌がゴツゴツしていて、遠くの山頂付近には白い雪。次第に天気も悪くなってきて、アーサーズ・パスという峠の休憩所でコーヒーブレイクを入れた時には、完全に雨が降っていた。こういうダイナミックな自然環境だから、映画「ラスト・サムライ」や「ロード・オブ・ザ・リング」のロケ地にも選ばれるのだろう。峠を越えて西海岸の町グレイマウスに到着したのは昼頃。オーストラリアとニュージーランドを隔てる海を眺め、少しだけ水と戯れて、近くのカフェテラスで昼食をとった。その後は帰路につき、雨も小ぶりになったので途中で美しい湖を眺めたりして休憩を入れながら走る。夕方頃には帰宅することができた。
戻ってからRayとDotに別れを告げるまでの時間は本当にあっという間だった。前日同様の夕食を済ませるとすぐに空港に向かわなければならなかった。RayとDotに加えて、10年前に最初に会った時には1歳の赤ん坊だった近くに住む孫のChristohperが見送りに来てくれたけれど、RayとDotに5年度に妻を連れて再度ニュージーランドを訪れることを伝えて別れ、最後搭乗手続きを済ませてゲートをくぐる時にはこみ上げてくるものを抑えられなかった。RayやDotと10年前に最初に会った時のこと、5年前に再会した時のこと、そして今回のこと、その時々で彼らと会話した内容だけではなくて、当時僕が考えていたことも自然と思い出された。あの頃なりたかった自分に今近付くことができているのか、なれていなかったとしても、そもそもなりたい自分が変わっていたとしても、少なくとも努力をしているのか。使い古された言葉だけれど、自分の「原点」に立ち戻って自分を振り返る作業を突き付けられた。飛行機に乗っている間も、ずっとこのようなことを考えていた。
オークランドに着くと、成田に向かう便が翌日朝早いので、予め手配しておいた空港近くのモーテルに泊まった。引き続き色々なことを考えていたけれど、気が付いたら眠りに落ちていて、次の日の朝を迎えた。空港内の免税店で多少買い物をして帰国の途に、夕方には成田に着いた。
前半と後半、全く趣を異にした今回のニュージーランド訪問だったけど、間違いなく人生の思い出になった。5年後の2010年、絶対にまた行こうと思う。
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